2020年11月11日水曜日

エコで美麗なハウスコンピ。『Project Green vol.1-Forest City-』

 

Project Green vol.1-Forest City-



たぶん10年くらい前にレンタル落ちで買った1枚。

DAISHI DANCE とか STUDIO APARTMENT とかが爆発的に流行っててて、

fran fran とかのおしゃれ目な店に行くとずっとこんな感じのキレイ目ハウスが流れてた。


「音楽も、森も、再生しよう」というメッセージは少し面白い。

COLDFEET「Breathe」のピアノリフもキャッチーだなあ。

あと、i-dep もやっぱりよかったけど、飽きちゃうんです、このジャンルは。

最近、大西順子ばかり聴いてるから余計にそう感じてしまうのかも。


これ、「vol.1」とあるけど、結局これ以降は出てないみたい。

もう、こういうオムニバス盤というか企画モノは出しにくいだろうなあ。

時代を感じてしまう1枚でした。






2020年9月16日水曜日

『Voodoo』 Sonny Clark Memorial Quartet

こんなのあったんですね。

録音は1986年。

内容は、ジャケットほど前衛的ではありません。

フツーにモダンジャズとして聴ける演奏です。


『Voodoo』 Sonny Clark Memorial Quartet

  

2020年8月28日金曜日

アヤコノ plays 「女の子は誰でも / 東京事変」

アヤコノさんの素晴らしい動画を発見。

ちょうど、なんか4ビートをコピーしようと思ってたところ。

わたしも練習しようっと。



2020年7月26日日曜日

DE DE MOUSE 『A journey to freedom』



DE DE MOUSE、コンピレーションやイベントで名前だけは知ってたけど、ちゃんと聴いたことなかったので挑戦。
DTMだけど、ボカロ界隈周辺の雰囲気はなし。
自分の世界を創り上げるためにコンピュータを使っている姿勢がよく分かる。
特徴的なのは、サンプリング/加工したボイス。
これがDE DE MOUSE のオリジナリティというか「印」になっているとか。

全然悪くないんだけど、強く引っかかってくるところがなかったのが残念。
なんでも、これは3作目。
1st, 2ndも評判いいみたいなので、さかのぼって聴いてみようかな、という気にはなった。


2020年7月16日木曜日

BENI 『COVERS THE CITY』

カバーアルバム、好きなんです。
好きな曲がどうアレンジされるか興味あるし、
嫌いな曲や興味ない曲も、
どう料理するかで、その曲の新しい魅力を発見することもある。

なので、これまで、BENIさんに特に注目したことはなかったんだけど、
カバーアルバムということで聴いてみました。

BENI 『COVERS THE CITY』(2017)



……う~ん、ちょっとアレンジが単調かなあ。
打ち込みトラックがのっぺりしてて、あまり好きになれませんでした。
彼女のボーカルのファンの人と、
英語の歌詞を知りたい人は楽しめるのかな、と。

一番よかったのは「シュガーソングとビターステップ」。
すぐに原曲のUNISON SQUARE GARDENを聴きなおしました。

  


2020年7月2日木曜日

『RECIPE』山下達郎

近所のツタヤで、レンタル落ちでこのシングル買いました。



君と
しあわせのレシピで
しあわせになろうよ
シアワセノレシピで
君をもっと味わいたい

というところがちょっとエロかったです。

あ、#2 のサウスバウンド #9 のクレジットも備忘で記録。

2019, 9/7 at NHKホール
山下達郎: Electric Guitar
小笠原拓海: Drums
伊藤広規: Electric Bass
佐橋佳幸: Electric Guitar
難波弘之: Acoustic Piano
柴田俊文: Keyboards
宮里陽太: Alto Sax
ハルナ: Background Vocal
ENA: Background Vocal
三谷泰弘: Background Vocal

2020年7月1日水曜日

【坂本龍一】「音楽の力」は恥ずべき言葉(3) 


昨日 の続きで3回め。



「音楽の力」は恥ずべき言葉
(坂本龍一、朝日新聞 2/2)

 日本社会ではとりわけ近年、メディアなどが「音楽の力」という言葉を万能薬のように使う傾向がある。「災害後にそういう言葉、よく聞かれますよね。テレビで目にすると、大変不愉快。音楽に限らずスポーツもそう。プレーする側、例えば、子どもたちが『勇気を与えたい』とか言うじゃない? そんな恥ずべきことを、少年たちが言っている。大人が言うからまねをしているわけで。僕は悲しい」
 
 音楽の感動というのは、「基本的に個人個人の誤解」だとも語る。「感動するかしないかは、勝手なこと。ある時にある音楽と出会って気持ちが和んでも、同じ曲を別の時に聞いて気持ちが動かないことはある。音楽に何か力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは、言語道断でおこがましい」

では坂本は、何のために音楽を奏でるのか。
「好きだからやっているだけ。一緒に聞いて楽しんでくれている人がいれば、楽しいんですけど、極端に言えば、1人きりでもやっている。僕には他にできることはないんです。子どもの時からたった1人でピアノを弾いていた。音楽家ってそんなもので、音楽家が癒やしてやろうなんて考えたら、こんなに恥ずかしいことはないと思うんです。 (河村能宏)

えーと、まず素朴に「スポーツと音楽を一緒に考えていいのだろうか?」と思うし、これだけ影響力の大きい人が、その個人的な思いを根拠にここまでバッサリと述べちゃっていいのかな、という気もするけど、まあ、芸術家だからいいか、と納得しました。
確か「憂国呆談」のどこかで浅田彰氏が坂本龍一氏の「聞いてるこちらがヒヤリとする」、スキだらけの発言を、彼は「芸術家だからいいの」と述べていたことがあったけど、こういうことかな、と。




うん、スキだらけで言葉足らずだけど、鋭いです。
「テレビで目にすると、大変不愉快」とか、「音楽の感動は基本的に個人個人の誤解」というところは深く共感します。

2020年6月24日水曜日

【坂本龍一】「音楽の力」は恥ずべき言葉(2) 

昨日 の続きです。
この坂本龍一氏の言葉、まったく同感です。

「音楽の力」は恥ずべき言葉
(坂本龍一、朝日新聞 2/2)
「もちろん、僕も、ニューヨークが同時多発テロで緊張状態にあった時、音楽に癒やされたことはあります。だけど『この音楽には、絶対的に癒やしの力がある』みたいな物理的なものではない。音楽を使ってとか、音楽にメッセージを込めてとか、音楽の社会利用、政治利用が僕は本当に嫌いです」
 なぜそうした考えに至ったのか。坂本は、ナチスドイツがワーグナーの音楽をプロパガンダに利用し、ユダヤ人を迫害した歴史を挙げた。「当時を経験していないのにトラウマでね。音楽には暗黒の力がある。ダークフォースを使ってはいけないと子どもの頃から戒めていた」
 坂本はこれまでに、TBSとの地雷ZEROキャンペーンや、環境プロジェクトに融資を行う「ap bank」などに関わっている。地雷問題は筑紫哲也の依頼で参加したが、ほかは「音楽というより自身の有名性を使ってアピールしたいと思ってやっている」のだという。



そういえば、キョージュにはこんな本があります。





これ、ナチスの強制収容所の「Arbeit macht frei」に掲げられたスローガンへの目配せなわけで、氏の頭の中にはずっとこの事が頭の中にあったのでしょう。

もう一回だけ続きます。



2020年6月21日日曜日

【坂本龍一】「音楽の力」は恥ずべき言葉 (1)

いやあ、やっぱりこれ、素晴らしい記事ですよ。

「音楽の力」は恥ずべき言葉

(坂本龍一、朝日新聞 2/2)

災害が起きた時などにやたらと叫ばれる「音楽の力」という言葉に、ミュージシャンの坂本龍一は強い嫌悪感を抱いているという。東日本大震災後に子どもたちを指導するなど、音楽を通じた社会活動を続ける坂本がなぜ今、そう考えるのか。福島市の練習場を訪ねて聞いた。

・坂本龍一、東北ユースオケ公演を前に
被災3県の子どもたちで作る「東北ユースオーケストラ」を結成し、坂本が音楽監督に就任したのは2014年。以来、演奏会を定期的に開いてきた。「今まで僕が出したアルバムって全然一貫性がないでしょ? 元々僕は飽きっぽい性格。だけどこれは簡単に放り出せない。そんな覚悟で臨んでいます」と特別なまなざしを注ぐ。
 練習では自身もピアノで加わり、「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」を合わせたほか、指揮を執ったり、個別指導をしたりする場面も。
「一番最後はバサッと切るんじゃなくて、余韻を残す感じで」「次の小節は3拍目に重心がかかる」。穏やかな口調で、的確な言葉を繰り出す。
 復興を祈る公演などを通じて、「音楽の力」で社会に影響を与えてきたのでは、と質問しようと話を向けると、強い拒否反応が帰ってきた。「音楽の力」は「僕、一番嫌いな言葉なんですよ」という。

(続く)







2020年6月20日土曜日

PIT BULL 『ORIGINAL HITS』『LOVE MAGIC 3』(TSUTAYA限定)

え~と、近所のツタヤで、レンタル落ちでこんなCD買ったんですけど、これ、両方とも全然何も感じませんでした。
いや、少なくともピットブルは期待してたんですけどね。

   

  

以前のわたしでしたら、「いまの自分には感じられなかっただけで、将来気に入るかも知れない」とか、「サンプリングネタになるかもしれない」とか考えて、CD棚にしまいこんでいたと思うんですけど、そういうの、もういいんです。
速やかに捨てました。

この年になってやっと、取捨選択する基準ができてきたように思います




2017年4月8日土曜日

『ELECTRIC BATH』The Don Ellis Orchestra

 

「何をいまさら」な話だけど、このドン・エリスの『エレクトリック・バス』('67)のジャケットはアングルの『トルコ風呂』(『Le Bain turc』, Jean-Auguste-Dominique Ingres、1862)。



で、ジミヘンのアレはこのドン・エリスへの目配せなわけだ。

 

『Electric Ladyland』, The Jimi Hendrix Experience (1968)

もっとも、ジミのアイデアではないし、そもそものアメリカオリジナルはジミの横顔ジャケット。女だらけのジャケットはイギリス盤と日本盤だけ。
ドン・エリスの『Electric Bath』が前年の67年の発表だったことを考えると、イギリス盤を編集した誰かが、『Ladyland』というタイトルと、『Electric Bath』のジャケットを結びつけてこんなジャケットを考えたのではないか。

ジミの関係者は否定的なのかもしれないけど、そういう意味でもこのジャケットは優れている。ただ、ちょっと露出しすぎてるのは事実で、さすがにこのままの流通は難しかったのだろうけど。。。



2017年4月7日金曜日

『FROZEN DAYS』山下洋輔トリオ、 河野典夫による解説

  

河野典夫による、モンクと山下洋輔に関するエピソード。
別のところで引いた文章だが、ちらほらと需要があるようなのでここにも引いておく。

「マイフェイヴァリット・シングス」抜粋
『FROZEN DAYS』山下洋輔トリオ、 河野典夫によるライナーノーツ


(中略)
ーーきみ(山下洋輔)は、日本のセシル・テイラーじゃないよ。
ぼくは、セロニアス・モンクという感じがする。
そう、ぼくがいうと、
ーーそのほうが嬉しいな。
と、うなづく彼の素直さが好きだ。

その夜、たまたま出会ったグループと、ぼくの誘拐癖に乗って、
ぼくの家の、インド、ネパール、バリ島などの不思議な楽器をいじりまわし、ついに門外不出の歴史的録音を残して行った、彼の飲みっぷりが好きだ。

さて、その夜も明けそめる頃、セロニアス・モンクのソロ・レコードを聞きながら、カーペットの上に伸びていた彼は、いつか、安らかな寝息を、立てはじめていた。
ぼくは、そっと、レコードを停めたが、瞬間、彼の寝息はとまり、静かな低音が、きこえて来たのだ。
ーー裏をかけてくれませんか?

2017年3月10日金曜日

Serious Japanese / TERIYAKI BOYZ, 2009

 


整理してたら奥深い地層からでてきた1枚。

コーネリアスの「5th Element」がカッコよすぎます。
トラックの作り込み感(特に音質)が他と違いすぎる。。。
この1曲があるせいで、このCD捨てられなくなった。
どうしてくれる。

でも、フックの

DJ MC ブレイキン グラフ
Goota 和 Goota 和 ブルース・ウィルスも知らない
5th エレメンツ 5th エレメンツ
5th エレメンツ 5th エレメンツ

はなんとかしてほしかった。

ブルース・「ウィルス」と「ウィリス」、
誰もおかしいと思わなかったのかなあ。
フックであるだけに痛いです。

2016年2月16日火曜日

キャバクラで。



「お客さん、水割りでいい? それともロック?」

「チェンジ。」



2016年1月19日火曜日

『音楽の未来を作曲する』野村誠、晶文社、2015








職場の近所の図書館で見つけた本。
エッセイ的な語り口ながら、書かれてることは実に深く、そして刺激的。
「作曲」について書かれているが、「即興」の本として読んだ。
以下、引っかかったところを引いておく。


86-87頁
 ディスカッションでも、声が大きい人の意見、即座に反論できる人の意見が、場を支配することが多い。即興演奏でも、音が大きく反応が速い人が主導権を握るケースが非常に多い。 ディスカッションとか即興演奏というのは、音の大きさと、反応の速さを競うゲームなのだろうか? 場馴れしていて経験が豊富な人は、自信を持ってはっきり発言(発音)するので、主導権を握れる。経験不足で自信のない人、じっくり考えて行動するタイプの人は、決して主導権が握れない。これでは、創造的な活動なのか、権力争いなのか、分からない。 では、この問題点を解消するためのルールを設定してみてはどうか? つまり、音が大きくても、反応が速くても、主導権を握ることができないルールを考える。そうやって生まれてきたのが、「しょうぎ作曲」だ。イギリスから帰国して三年後、三十歳のぼくが辿り着いた答えが「しょうが作曲」だった。そして、ぼくは「しょうぎ作曲」に没頭することになる。

 対等な関係 

しょうぎ作曲の特長は、機会が均等に与えられるところだ。反応が速くても主導権を握ったりはできない。作曲の経験が豊富な人と、音楽なんて大の苫手だという人の間に、上下関係は存在しない。子どもも大人もプロも素人も、みんな対等なのだ。 機会均等を実現するため、しょうぎ作曲では、トランプみたいに輪になって、順番に作曲する。各自一巡ごとに一回だけ、新しいパートを作曲できる。 もう一つ、参加者同士のヒエラルキーを作らないために、「他の人の作曲に一切口出しをしてはいけない」、というルールを考えた。各自が、自分のパートを作曲する。その作曲は、他人からに見たら作曲に思えないとしても、本人が作曲だと思うものなら、何でもいい。メロディーでもいいし、単なるノイズでもいいし、台詞を喋っていても、踊っていても、本人がそれを作曲だと思えば、それは(その人にとっての)作曲とする。 また、自分の作曲したパートは、自分で後で思い出せるように楽譜に書く。


「場馴れしていて経験が豊富な人は、自信を持ってはっきり発言(発音)するので、主導権を握れる。・・・これでは、創造的な活動なのか、権力争いなのか、分からない。」


というところにはハッとした。
ジャズ、特にビ・バップという音楽はまさにこの「権力争い」的なゲームとして発達した音楽なので、問題意識を抱いたことはなかった。けど、一歩引いてみると、確かに初心者は簡単に参加できないよなあ。もちろん、そうすることで一定の質を保証してるわけだけど。
筆者は、初心者が気軽に参加できて、しかも音楽の質を保証するような作曲(=音楽する、程度の意味として受け止めました)の方法を考え続けている。
こういう試みは、しばしば頭でっかちで、実際の音楽的な快楽を伴わないことが多いけど、この本を読んでる限り、筆者の音楽はすごい楽しそうで魅力的。

次の試みなんか、だれでもすぐに参加できるインプロヴィゼーションだ!
しかもこれ、絶対楽しいはず。

120-123頁
  「テキストのたね」
  腹の底からそいつは叫んだ
  そいつはドイツ人だった
  学生時代を思い出していた 

  森の中では小鳥が叫んだ
  小鳥だけではなく
  森の動物、みんなが叫んでいた
  熊さんはスタコラサッサと逃げて行った
  後ろから女の子が追いかけてきた
  その後ろから光が見えた
  来月こそは彼女を連れてドイツに帰りたい
  という夢から覚めた
  うつ病患者の幻覚
  わーははははー
  懐より煙草を一本取り出し火をつけた
  しかし火はつかなかった
  よく見るとライター君は「おれ、今やる気ねえんだよ。くすぐってるんだよ」と言って笑った ギャー

 このテキストを原作に、演劇にできないだろうか? そう考えて、このテキストを倉品さんに委ねた。すると、倉品さんは、これを演劇ワークショップの参加者だちと群読してみた。ところが、全員で一斉に読もうとするとうまく読めないらしい。なにか工夫が必要だ。そこで、各自が好きな四文節だけを選んで読むことになった。
 三十人ほどでこれをやると、一文節目は五人で読むが、二文節目は三人になり、三文節目は九人になり、とフレーズごとに人数が変動する。ぼくも実際にその群読に立ち合ったが、色々な場所から声が飛び出してくる。それは、まるでオーケストラの中の色んな楽器の組み合わせが、交代で立ち現れるようだった。そこにはリズムがあり、人数の増減がある。それは単なる朗読だが、既に作曲でありオーケストレーションではないか! そこで、この群読を音楽だと思って、発展させることにした。ここはピアニッシモ(弱い声)で読んでみよう。ここはスタッカート(短い声)で読んでみよう。ここは、アクセントをつけて。ここは、リタルダンド(だんだんゆっくり)して読む。ここはクレッシェンド(だんだん大声に)して読む、などとアイディアが出てくる。朗読の練習は音楽の練習のようになる。 ぼくは、この朗読をそのまま忠実に吹奏楽にアレンジすることを思いついた。そこで、誰が何文節目を読んだかを記録し、群読の様子をビデオに撮影し、作曲家の坂野嘉彦さんに編曲を委嘱した。坂野さんは、リズムも、人数も、演奏のアーティキュレーション(スタッカート、アクセントなど)も、ビデオに忠実に楽譜を作り、吹奏楽器にアレンジした。その曲は、えずこウインド♪アンサンブルが初演した。作文と朗読が、吹奏楽曲の作曲になった。


そして、何より興味深く読んだのが次の箇所。
作曲と楽譜を巡る考察です。


155-157頁

かたい楽譜とやわらかい楽譜

 「ホエールトーン・オペラ」の楽譜は、一体、何を記録しているのか? 「ホエールトーン・オベラ」の楽譜で、ぼくとヒューは何を追求しているのだろう? この楽譜は、大きく分けて以下の三種類のことを記録していることに気づく。
 ① 作曲のプロセス ② 作曲の結果 ③ 改訂の可能性
 ①の「作曲のプロセス」は、例えば、「ホエールトーン・スケール」を使ってメロディーを作るとか、書道をして、その曲線を図形楽譜とみなしてメロディーを創作するなどの方法のこと。②の 「作曲の結果」というのは、ワークショップで作曲された曲を再現するために、曲の構成、楽器の編成、メロディーライン、リズム、強弱、アーティキュレーション、ニュアンスなどを可能な限り厳密に書いたものを指す。または、その音楽を成立させる演奏上のルールを、できるだけ厳密に書いたものを指す。③の「改訂の可能性」は、②の楽譜を踏まえつつ、条件が揃わない時、または修正を加えたい時に、どう対応すべきかについての指示を指す。 楽譜と呼ばれる物のほとんどは、②(=作曲の結果)のみを記している。それは、次の二つの考え方によって成り立っていると思う。つまり、
 A)作曲とは完成するものである

 B)楽譜とは完成した楽曲を記録するものである
という二つの考え方だ。こうした考え方を前提にした楽譜を、「かたい楽譜」と呼んでみる。「かたい楽譜」で記された音楽は、それ以上、修正されることがなく、形をそのままに留めることができる。十年前にイギリスで作曲された音楽を、十年後のタイで演奏しても、十年前のイギリスと同じ音楽が再現されるようにできている。ところが、もし
 A’)作曲とは完成しないものである

 B’)楽譜とは未完成の楽曲に参加するために存在するものである
という考えに立つと、楽譜の意味合いが全く違ってくる。こうした楽譜を、「やわらかい楽譜」と呼んでみることにする。「やわらかい楽譜」の音楽は、形が変化することを前提とした楽譜である。十年前にイギリスで作曲された音楽を、十年後のタイで演奏する場合、十年前のイギリスの音楽と無関係ではないが、再現ではなく、作曲上の何らかの展開が起こるはずである。

そして、筆者による「音楽」の定義。
結局、メロディもリズムも、ハーモニーも音の一部でしかない。

189-192頁

 聴覚障害児との音楽活動を続ける作曲家の佐藤慶子に、『五感の音楽』(ヤマハミュージックメディア)という本がある。また、小松正史は、自身の研究分野をサウンドスケープではなく、「五感環境学」と呼んでいる。音を視ることを、音を触ることを、音を味わうことを、音を匂うことを忘れてはいけない。音楽は五感で感じるものだ。いや、ぼくらには第六感もある。第六感も含めた全感覚を通して音を体感する、その行為こそ音楽と呼ぶべきではないか。野外楽の作曲を探求していく中、ぼくにとっての「音楽」の定義は、音を耳で聴くことを超越し、音を全感覚で体感する行為になったのだ。ぼくにとっての音楽の定義は、こうなる。

定義: 音楽とは音を全感覚で体感する行為だ


以下はメモ。



259頁
 アナン・ナルコンは、バンコクのシラパコーン大学で民族音楽学を教えている民族音楽学者。日本にかつて小泉文夫という民族音楽学者がいて、多くの人を民族音楽の世界に導いたが、アナンはタイにおける小泉文夫的存在で、東南アジアの各地にアナンの教え子がいる。出世を望めば彼はすぐに教授のポストに就けるだろうが、ずっと平の講師を続けている。権威よりも自由を愛し、常にユーモアいっぱいで、鋭い批評を笑って語る。「のだめカンタービレ」から、福岡式自然農法まで、あらゆる情報を網羅する半端ない知識量の持ち主だが、難解な言葉遣いを嫌い、下ネタが好きで、優しい紳士だ。だから、みんなアナンのことが大好きで、アナンと一緒に音楽をしたいと思う。


274頁
 無農薬で野菜を育てる時に、コンパニオン・プランツという手法がある。トマトの側にバジルを植えると相性が良く、バジルの香りで、トマトの害虫がよりつかなくなる。キャベツの周りの雑草は刈らない方が、害虫被害が出ない。相性の良い組み合わせをコーディネートできれば、それぞれの長所が活かし合えるし、相性の悪い組み合わせになると、お互いの短所の掛け合わせで最悪の結果になる。では、オーケストラは何と組み合わされば、活かされるのか? そんなコーディネートをすることも、ぼくの仕事になった。


野村誠さん、すごく面白そうな人です。
次はこの人の音楽を体験してみたい。


2013年11月27日水曜日

Coldplay, Small Boys

今日聴いた音楽。


A Rush of Blood to the Head / Coldplay (2002)

   
コールドプレイ、カッコいいです。



ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ / Small Boys (2012)

   

 そういや、NONAの新譜まだ聴いてないなあ。
これって「アルファベット・ボーイ」からイメージ膨らんだ作品なのかな。
想像通りの良作だった。

企画盤かと思ったら、2ndも出るみたい。

2013年11月9日土曜日

One Nation / インコグニート remix









インコグニートによる、日本のアーティストのリミックス曲。
一時期、京都のブックオフでよく見かけたなあ。



#2. 真夜中のドア ~Stay with me (More bounce to the ounce mix)(松原みき)

#6. エイリアンズ (Groove encounters mix)(キリンジ)

はwalkmanのヘビーローテーションだった。

また、

#11. Out of the blue (Original full mix)(小原明子 feat.akiko)

は男性のロングトーンがお経のようなエフェクトとして
使われていて、これはカッコいいね。

そういえば、MONDO GROSSOもお経をサンプリングして
エライカッコいいことやってた。
ヨーロッパ遠征(パリ)のライブ冒頭。

 

#1 のbuddha がそれ。

このライブのDVD観てないなあ。

One Nationに戻って、

#12. Happy valley (Churchez la dance mix) (orange pekoe) は、

オレペコの Best & Remixiesにも入ってないんだ。








2013年9月7日土曜日

DNA on DNA / DNA



わりと前衛的な音楽も好きな方で、ずっとノイズにも興味はあった。
メンバーは全員ほとんど楽器ができないんだけど、
音楽として聴けるのが不思議、というか素晴らしい。

アート・リンゼイとかイクエ・モリとか、
今となってはもはや半ば神話上の人物で、
このアルバムも歴史的な意味しかないんじゃないかなー、
と思ってたんだけど、これはこれで楽しめた。
DNAについての解説とかは、
Amazonのレビューアーの皆さんの解説が勉強になった。
同時代体験した人の証言が一番参考になります。

そういえば、アート・リンゼイは菊地成孔率いるDCPRGのライブに
ゲスト参加 してた。



インパルス移籍第一弾のアルバムの宣伝動画。
アート・リンゼイは 2:00 ~ 3:40 で爆裂。
口を半開きにしてノイジーなギターを掻き鳴らす姿は本当に素晴らしい!
その後の類家心平のトランペットソロもいい。
やっぱりDCPRGはカッコいいなあ。
…って、結局DCPRGの話になっちゃった。

2013年9月6日金曜日

LOVE COMPLEX / 井上陽水, 2006年

  

妖しい陽水ワールド全開。
2006年の作品。
この年齢になってもマイペース。
周囲のことなど一向にお構いなしのスタンスはカッコいいなあ。

陽水の歌詞の世界って、
なんとなくイメージは湧くけど、
意味を考えるとよくわからないことが多い。
例えば、#8の「長い猫」。




瞳は 星よりも遠く
黒い毛は 夜よりも深く
誰にも気づかれずに
あなたを待つ私
長い 長い猫

しっぽは どこまでも長く
白い歯は 爪よりもシャープ
痛みに耐えきれずに
あなたを呼ぶ私
長い 長い猫

キラメク夜は 遊び猫ばかり
待ちくたびれて 迷い猫みたい
見果てぬ夢は
後ろから見てるヒマラヤン

耳は 闇の中で鋭く
小さな鼻は 月よりナイーブ
光を愛せずに
あなたを探す私

長い 長い猫
長い 長い猫
長い 長い猫

…「長い猫」って何?

ああ、そうか、そういえば猫って脇の下を持ってだっこすると
ビローンって長くなるなあ…そのことかな…
いや、この「長い」ってのは、
「あなたを待っている私の気持ち」のことじゃないか…
いや、
歌詞の「長い」と「長い」の間に差し込まれるギターのフレーズのことじゃないか…

…なんて考え始めたら、もう陽水の思うツボ。
陽水マジックにかけられてます。

多分、これら全部のことを「長い」という言葉で
ゆる~く括ってるんだと思う。

たまらないなあ。
『陽水の快楽』なんて本もあったっけ。
センター試験の問題にもなったような。

 






2013年9月5日木曜日

5TH DIMENSION / ももいろクローバーZ

 


とあるミックスCDで「走れ!」を聴いてから、
ももクロに注目するようになった。
注意して動向を気にすると、
なんか業界人で好きな人が多いんだよね、ももクロって。
一生懸命だとか、ダンスがすごいとか。

それはそうなんだろうけど…歌はちょっと厳しいなあ。
特に、ボーナスCDは聴くの辛かったです。

あと、#7の「Z女戦争」にエリントンのへの言及があり、
それは「デューク・エリントンの世界」にも書いておいた。