昨日 の続きで3回め。
「音楽の力」は恥ずべき言葉
(坂本龍一、朝日新聞 2/2)
日本社会ではとりわけ近年、メディアなどが「音楽の力」という言葉を万能薬のように使う傾向がある。「災害後にそういう言葉、よく聞かれますよね。テレビで目にすると、大変不愉快。音楽に限らずスポーツもそう。プレーする側、例えば、子どもたちが『勇気を与えたい』とか言うじゃない? そんな恥ずべきことを、少年たちが言っている。大人が言うからまねをしているわけで。僕は悲しい」
音楽の感動というのは、「基本的に個人個人の誤解」だとも語る。「感動するかしないかは、勝手なこと。ある時にある音楽と出会って気持ちが和んでも、同じ曲を別の時に聞いて気持ちが動かないことはある。音楽に何か力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは、言語道断でおこがましい」
では坂本は、何のために音楽を奏でるのか。
「好きだからやっているだけ。一緒に聞いて楽しんでくれている人がいれば、楽しいんですけど、極端に言えば、1人きりでもやっている。僕には他にできることはないんです。子どもの時からたった1人でピアノを弾いていた。音楽家ってそんなもので、音楽家が癒やしてやろうなんて考えたら、こんなに恥ずかしいことはないと思うんです。 (河村能宏)
えーと、まず素朴に「スポーツと音楽を一緒に考えていいのだろうか?」と思うし、これだけ影響力の大きい人が、その個人的な思いを根拠にここまでバッサリと述べちゃっていいのかな、という気もするけど、まあ、芸術家だからいいか、と納得しました。
確か「憂国呆談」のどこかで浅田彰氏が坂本龍一氏の「聞いてるこちらがヒヤリとする」、スキだらけの発言を、彼は「芸術家だからいいの」と述べていたことがあったけど、こういうことかな、と。
うん、スキだらけで言葉足らずだけど、鋭いです。
「テレビで目にすると、大変不愉快」とか、「音楽の感動は基本的に個人個人の誤解」というところは深く共感します。
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